【やぶきたの父 杉山彦三郎 1857年〜1941年】
「やぶきた」は茶の樹の品種の一つで明治末に見いだされた品種で、今では静岡県で栽培されているお茶の9割を占めています。収量が多くて味がよい優良品種として広く普及しています。やぶきたは1908年安倍郡有度村(現在の静岡市中吉田)の農家、杉山彦三郎が在来種の中から見つけ出し育てた。発見当時、やぶを切り開いた茶園の北側に移植したことから「やぶきた」の名前が付けられたという。杉山の実家は代々続いた漢方医だったが学問が嫌いで茶農家の道に進んだ、毎日茶を摘んでいる内に樹に個体差があることに気がついた。芽の出る時期の早い物遅い物、味も違う、そこに着目して品種改良に取り組んだ。当時輸出が盛んだったが品種改良という考え方はまだなかった。杉山は茶の品質を上げるためには改良が必要だと考えた。東は狭山から西は鹿児島まで自ら訪れいいと思われる樹を植え続け交配した結果「やぶきた」の発見となりました。

 

昭和40年代までは毎年徐々に進んでいた在来茶園から品種茶園への植え替えも、昭和50年代にはいると急速に進み、平成10年度における品種の普及率は95.6%に達しました。ちなみに、平成10年度に栽培されていた品種のうち93.9%が「やぶきた」です。この「やぶきた」一辺倒の傾向は品種の普及がようやく23%に達した昭和47年にすでに見られ、このときの品種茶園うち88%が「やぶきた」でした。

 

この様に「やぶきた」が偏重されたのは、「やぶきた」が広い地域に適応した品種であると共に、煎茶としての品質が極めて優れ、集約的な管理を行えば高収量を上げることができたので、農家や流通関係者、消費者に強く支持された為と考えられます。 「やぶきた」は新芽の進捗度合いで品質の低下が著しく、適期摘採を逃さないようにする必要があります。このため、特に茶園ごとの気象条件の差が小さい平坦地域などでは、「やぶきた」?のみの品種に偏った経営は摘採期が集中するため製茶工場の操業期間を長く取ることができず、無理な操業や生産コストの上昇につながりやすく、早・中・晩生品種の適当な組み合わせを進めるよう指導が進められています。