あのまろやかで抹茶のように濃く出る「深蒸し茶」はどのようにして生まれてのか、その背景にはどのような事があったのかを綴ります。
静岡県の旧小笠郡にあたる現在の掛川市と隣の菊川市などが"深蒸し茶"の一大茶産地として有名です。その中でも、菊川市内の茶農家が昭和30年代に研究を始めて開発されたといわれています。当時、菊川市を含めたお茶は、日照時間が長く茶葉が厚くなり、渋みと苦渋味があり、都市部では好まれないお茶でしたが、その深蒸し茶の出現により緑色濃く、喉越しのよい甘みのあるお茶として大変身をし関東を中心に広まりました。
牧之原台地は、石が多く水はけが良い赤土で、気候が温暖で茶の育成に向いていたため,現在のような全国一の規模を誇る大茶園になりました。しかし昔は、前記のとおり土壌が肥えていたために、葉肉が厚くなり普通のお茶の作り方をすると渋みと苦みがあり、良質なお茶の産地ではないと言われていたのです。
そんな中、おいしいお茶を作ろうと生産家たちが工夫するを続けていると、生産家の中で蒸かしすぎて失敗してしまったお茶ができました。しかしそれを飲んだときに、意外に緑も濃く、甘みが強いお茶が出来て、蒸しを長くしたら良いお茶が出来るのではないかと、ひらめき「深蒸し製法」が生まれました。
深蒸し茶は、葉肉の厚い生葉ができてしまう産地の「短所」をどうしたら良いお茶が出来るか、努力した結果生まれたお茶です。結果的に短所だった葉肉の厚さが栄養成分を多く飲むことが出来て、早く濃く抽出できる「長所」になっています。結果、全国的に深蒸し製法のお茶が広く生産されるようになりました。